結婚式 体験談集 参考

あまりにも両親が感動しているのでこっちまで泣けてきた結婚式の話

結婚式といえば、式場でいかにもな演出をするイメージを浮かべる方も多いでしょう。私たちも結婚式に対しては、最初、そのようなイメージしかありませんでした。ですから、海外のチャペルで身内だけの式を挙げて、披露宴というほどでなくパーティーだけを帰国してから開けばいいのではないかと思っていました。

ところが、予算の面、そして彼女の両親の飛行機嫌いなどもあって、なかなか思ったようなプランができません。パーティーの件で相談した職場の友人は「それだったら、式場でやったほうがいいよ」とアドバイスしてくれました。「日程と予算を考えると、そのほうが現実的」というわけです。

典型的な式になってしまうなあと思いつつ、彼女と式場の担当者に会いに行きました。するとさすがに結婚式場もさまざまな工夫をしていて、こちらの要望や予算に合わせて、わかりやすくて具体的なプランを提案していただきました。彼女と「さすが専門は違う」と感心したものです。

こうして、ごく一般的な結婚式、披露宴となったのです。楽しく、晴れがましいものですが、感動するところまではいかないだろうと思っていました。しかし、結婚式で涙ぐむ彼女のご両親の姿を見て、心が大きく動かされました。「ヤバイ」と思ったのです。なんとか披露宴まで涙など見せず、笑顔でいたのに、最後に両親への感謝の言葉を贈るところで不覚にもめちゃくちゃに感動してしまいました。こんな典型的な場面で泣いてしまうなんて……。

式や披露宴が淡々と進む中で、彼女のご両親がこれまで見せたことのないような感激ぶりで、言葉ではなく、その姿に胸を打たれたのでした。おそらく自分たちの手作り結婚式では、そこまで感動していただけなかったかもしれない、とあとで思いました。結婚式をきちんと挙げることの意味を再確認しました。

天国に届くようにお互いの子どもたちに囲まれて盛大な式を挙げました

私と彼女はともに再婚同士。なにも結婚式を挙げなくても、という気持ちもありましたが、子どもたちが「やりたい」と言い出しました。私の子と彼女の子。あわせて5人の大所帯です。

2人ともパートナーとは死別しています。私は結婚式経験者ですが、彼女は最初の結婚のときに式はきちんと挙げていませんでした。それもあって、子どもたちの中で、結婚式のことが話題になって急速に盛り上がっていったのです。子どもの単純な夢のような話なので、まともに取り合うことはないとは思いつつ、徐々に私も彼女も考えが変わっていきました。

世の中、なにがあるかわかりません。つらい経験をしている私たちだから余計にそのことを考えてしまいます。いまの幸せをきちんと確認して、多くの人と分かち合うこと。そうしたことをちゃんとやっておかないと後悔してしまうのではないか。

まして子どもたちは小学生ですから、自分たちの意見も言い、考えも持ち始めています。不思議な縁によって、一つの家族になったわけで、そのことをお互いにちゃんと確認するためにも結婚式はいい機会になるのではないか。そんな気持ちから、徐々に実現に向けて具体的に考えるようになりました。

式場の担当者の方も離婚経験者で、「どうせなら、天国に届くぐらい、きちんとした式をされてはいかがですか」と提案をいただきました。そうか、これは私たちだけの結婚式ではないのだ、と彼女と話し合いました。子どもたちのためでもあり、無念にも先立っていったお互いのパートナーのためにも必要なことだと思ったのです。

子どもがいることを前面に出す演出。子どもたちが随所で大活躍してくれる温かな式になりました。参加者はほんとうに少数で、身内と気心の知れた者たちだけでしたが、幸せというものをもう一度、かみしめることができました。そして、子どもたちを含めて、家族としての絆をあらためて感じることができました。

いまだに友人たちが思い出してくれる5年前の挙式の演出は質素でした

「あれはよかった」と、いまだに友人たちと酒を飲むと、5年も前のぼくたちの結婚式の話題になります。自慢ではないのです。話題の中心はぼくではありません。新郎新婦どころではなかったからです。

結婚式場をきちんと予約し、招待状を出して、つつましいですがごく一般的な式を挙げるつもりでいました。

ところが、大型台風が直撃してきたのです。予報ではそこまでひどいことにはならないと思われたのですが、前日は鉄道も止まるなどしたため、遠くにいる親戚たちが影響を受けてしまい、間に合わない可能性が出てきました。ぼくや彼女の仕事の関係もあって中止するわけにもいきません。

眠れぬ夜を過ごし、式の当日は午後になってようやく晴れて、式場の人たちと相談の上、やれるだけのことをしてくれることになりました。さすがにプロだなと感心したのは、こんなときでも、冷静にアドバイスをしてくれ、ぼくたちではどうにもならないことに対応してくれた点です。

親戚がそろわない中での結婚式でした。集まれた人だけでやるわけですが、友人たちが大変な中でも参加してくれました。もともとシンプルな式だったのが、ウエディングケーキも間に合わず、料理も予定とは違うものになってしまったこともあってさらにシンプルになってしまいました。

それでも、友人たちは歌や笑いの絶えないスピーチで場を盛り上げてくれたのです。二次会でやろうと思っていたらしいことを、披露宴でやってくれたのです。二次会は会場の関係もあってできなくなってしまったこともあり、その鬱憤晴らしでもあったのでしょう。

彼らに触発されたのか、親戚の人たちも負けてはいられないと隠し芸を披露しはじめ、まったくわけのわからない演芸大会のようになっていきました。

それでも、みんなが本当によく笑って、ぼくたちも大笑いし、あとにも先にもあれほど笑ったことはないほどの大宴会になりました。結果的に、ぼくの友人たちの結婚式の中ではもっとも盛り上がり、派手な印象の残った式となったのです。とてもいい思い出にしてくれた友人たちにいまも感謝しています。

10年も会っていなかった旧友が結婚式に駆けつけてくれて思わず号泣

「結婚式、盛り上げてあげるからさ」と学生時代からの知り合いが、司会役を申し出てくれたときは、少し不安でもあったものの、以前にやはり友人の式でおもしろく盛り上げていたので任せることにしました。

式場で両家を中心に100人規模の結婚式になってしまい、友人たちとワイワイやるような雰囲気ではなくなっていたのですが、彼は式場の人たちとなにやら綿密に打ち合わせをしながら、ぼくたちにも確認をしてくれたので、それほどのサプライズもなく、淡々といい雰囲気で進むのだろうと期待していました。

当日になると、やっぱり新郎新婦は舞い上がりますよね。お祝いされたり、衣装を直したり、やることがいっぱいで、バタバタになっていました。だから、打ち合わせたこともほとんど忘れてしまい、友人の司会のままに式が進行していたのですが、それほど気にも止めず、次々と役割をこなしていく感じでした。

「ではここで、新郎のお得意のトランペットをフィーチャーして……」と彼が言い出したとき、「やりやがったな」と思いました。友人を含め大学時代のバンド仲間が中心なので演奏はするはずでしたが、ぼくまで加わるとは思っていませんでした。やるとしても二次会かと思っていたのです。でも、イントロがはじまって、楽器も用意してあり、ぼくの立ち位置も指定されていましたので、新郎姿のままバンドに加わりました。

最初は気づかなかったのですが、演奏しているうちに後ろを振り返ると、そこには大学時代のバンド仲間に混じって、中学、高校と一緒にブラスバンドをやっていた友人の顔があったのです。

間違いなく10年以上、会っていません。彼とぼくは進路が違い、彼は別の地域の大学へ進んだこともあってそれきりになっていました。第一、彼を招待していません。

司会の彼があとでネタバラシをしてくれました。高校時代のブラバンの先生にビデオ出演してもらいに行ったところ、ぼくと彼のコンビの話が出て、それで彼を探し出し、かつての名コンビ復活を企画した、というわけです。

間違いなく、ぼく以外はまったく理解できない古い友情の話なのですが、そのとき、突然激しく感動してしまい、号泣。あとのことをほとんど覚えていないのです。自分でも忘れていた青春があったんだな、世話になった人がいっぱいいたたんだな、と思ってジーンとしてしまいました。

友人とはそれから連絡を取り合うようになり、今度は同窓会をすることになりました。結婚式は、自分たちだけのお祝いという面もありますが、同時に、人と人を再び結びつけてくれる絶好の機会にもなるのですね。

籍を入れて3年、彼女が突然「結婚式を挙げたい」と言い出した

最近では珍しくもないことですが、入籍はいい日にさっさとやってしまい、あとでゆっくり式については考えるというパターン。私と彼女はお互い、忙しいこともあったし、すぐに子どもを作るとか、郊外にマイホームといった感覚ではなく、しばらくは結婚しても都心で過ごし、週末は楽しみながら、仕事中心でいこうと考えていました。

結婚生活は楽しいものですが、新婚旅行だけは南の島で過ごしたものの、その後も折に触れて海外旅行へ行っていますから、特筆すべきほどでもない思い出になっています。旅先で結婚式を挙げる人もいますが、私たちは「いずれは結婚式を挙げる」というつもりでいたので、そういうことはしませんでした。

あっという間の3年。働いてボーナスを貯めて、長期休暇がとれたら海外旅行。そんなパターンを3回繰り返したわけですが、いつしか結婚式の話はお互いに出なくなり、このまましないなら、最初の旅行で南の島で形だけでもやっておけばよかったと思ったりもしました。

それが今年、突然、彼女が「挙げよう」と言い出したのです。理由がありました。私の父は病状が思わしくないのです。それと結婚式を結びつける発想は私にはありませんでした。でも、彼女は「お父さんにちゃんとしたところを見せよう」と言い出したのです。彼女からすれば義理の父。会ったときから病気でしたので、それほどの思い出もない間柄です。
「うちの父だってどうなるかわからないし」と、まだ若い彼女のお父さんと重ねているようです。

母に相談したら「いまなら」というので、急きょ、式場を探しました。父はそれほど移動ができませんし、車椅子です。こういう点では、ちゃんとした式場はトイレなどの設備もいいし、係の人たちもよくわかっているので、対応もしてくれて助かりました。

準備の時間が足らず、私たちにはなんのアイデアもなく、呼ぶべき人たちのことだけはしっかり考えましたが、式そのものはほとんどお任せでやりました。それでも、さすがですよね。さりげなく、盛り上げてくれる演出があって、式の全容を知っているはずの私でさえも不覚にも感動してしまったほどでした。

具合はあまりよくありませんでしたが父も喜んでくれたので、彼女の思いつきと行動力にはとても感謝しています。大切な人たちが揃(そろ)う間に、ちゃんと式を挙げたほうがいいと思うようになりました。

日本式の結婚セレモニーを彼女が希望したから渋々だったのですが……

彼女は帰国子女で、勤め先も国際的な職場でしたから外国の友だちや上司を招く結婚式になりました。それなのに、彼女は「父母がやったのような日本式がいい」とずっと言っていたのです。

ぼくは、もっと気軽な、海外の映画に出てくるようなパーティーを思い描いていたので堅苦しい式はあまり気乗りしませんでした。ですが、「パーティーはいつでもやれるけど、着物着て帯締めてなんて、たぶん結婚式ぐらいじゃないとムリだから」と彼女は譲りません。

食事もフレンチが有名な会場なのに和食を混ぜることに。もっとも日本食はいま海外でもブームですから、その点はぼくも賛成でした。

プランを作っていくと、思った以上に純和風な結婚式になってしまいました。時間の関係もあってセレモニーをあまり長くしたくなかったこともあって、あれこれ詰め込むことはやめました。開き直って「これがジャパニーズスタイルだ」と、まるでお手本のような典型的な式にしたのです。

当日はけっこう大変でした。慣れない着物をぼくも来て、親戚には「七五三以来」とからかわれました。しかし、やってみて、彼女も彼女の海外からの招待客もすごく喜んでくれました。和食がおいしかったことはもちろんですが、伝統的な式と披露宴に招待されたことを感激してくれたのです。

もちろん、ぼくや彼女の両親も「やっぱりいいものだ」と再認識したようでした。とくに母はウェディングドレスで式を挙げ、文金高島田は写真もなく、ずっと洋風がいいと思い込んでいたようなのに「次に挙げるなら和式がいい」と冗談を言うほど気に入っていました。

伝統とか歴史といったものは、多くの人を感動させる力があるんだと改めて思いました。ぼくたちもしっかりとした式と披露宴ができて、とても満足しました。

階段を一歩ずつ踏みしめながら「幸せになろう」とあらためて思った

結婚式場をいくつか見て歩きました。最初から式はちゃんとやるつもりでいたので、彼女が希望している場所を片っ端からチェックしていったのです。

やっぱり結婚式は花嫁がもっとも映えるものですから、彼女が気に入らないのでは意味がないと思っていましたし、私自身は「とにかく言われたとおりにやればいい」ぐらいの気持ちでいました。つまり、なんにも期待していなかったのです。

ところが、ある式場で、「新郎新婦にはこちらから入場いただく演出もできます」と、しゃれた階段を見せてもらったとき、なにかグッとくるものがあり、思わずくいついてしまったのです。

ウエディングドレス姿の彼女をエスコートしながら、自分がそこを降りていく……。そんな演出があるんだという驚き。そして「こっぱずかしい」という気持ち。「やりすぎだよね」と私は言いましたが、彼女が「すごくステキだと思います」と乗り切りでした。

結婚式には演出がつきものなので、お色直しも含めて、一通りのことはする覚悟はありましたが、階段を下りるというのは、けっこう晴れがましくておもしろい演出だと思ったものの、自分がやるのは別問題です。

練習では、階段をただ下りるだけなのに、けっこう難しい気がしてしまい、自分でもいいと思ったくせに、ちょっと憂鬱になりました。いかにも失敗しそうだし、来てくれた人たちにどう見えるか、不安だったのです。

当日。練習とはまったく違います。ガクガクと膝が震えてしまいます。着慣れないタキシードのせいもありますし、彼女もけっこう緊張していました。係の人が「ステキですよ」と何度も言って、なだめてくれています。

音楽が鳴り、私たちが階段の上でスポットを浴びると、拍手がおこりました。「うわー、えらいことだな」と完全に舞い上がっていましたが、彼女がぎゅっと腕にしがみついてきました。そのとき、「そうだ、今日から2人なんだから」と実感したのです。「自分がしっかりしなくちゃ」と。

「行くよ」とたぶん、冷静に彼女に声をかけたつもりですが、練習したように足を踏み出しました。ライトに照らされて、ゆっくりと歩調を合わせて降りて行くと「うん、大丈夫」と突然緊張が消えて、かわりにじわーっと感動があふれてきました。

みんなが祝福してくれて、本当に結婚したんだなあと素直に思えました。いまでも思い出すのはこの階段演出でした。

彼女は最初は反対したけど、やっぱり式場できちんとやってよかった

「結婚式なんていいよ、もったいないし。うちの親なんて、来ないかもしれないよ」と彼女が言うので、ぼくは結婚式をしないのなら、旅行だけもしようかと考えていました。

しかし同僚とか先輩からも、「式はいつだ」と言われて、やらないといけない雰囲気がありました。「男のけじめだ」とまで言われました。

「いいよ」という柔らかな反対から、「いやだ」と強い反対になっている彼女に、とにかく式場だけでも見て回ろうと誘いました。渋々の彼女を連れて、いくつかのとても有名な結婚式場やホテルを回りました。

「もう気がすんだ? お金いっぱいかかるからムリよ」と彼女はなおも反対していましたが、式場めぐりをしているときに、とても感じのいい男性の担当者がいて、思い切ってその人に相談をしてみました。「してもしなくてもいい風潮ですが、結婚式はとっても思い出になりますよ。お二人だけではなく、ご両親やご友人の方にとっても」と言われて、ぼくもまったく同じ気持ちでしたので、彼の言葉をメモさせてもらい、そのまま彼女にも伝えたのです。「ぼくたちだけのことじゃないんだよ」と。

すぐに賛成とはいきませんでしたが、具体的な予算の話などを進めながら、「これならぼくたちらしい式になる」と思えるところまで来た時、彼女も反対はしなくなりました。「でも、なんだかもったいないな」と最後まで言っていましたが……。

親切な式場。彼女の家族にも心配り。そして低予算ながらも豊富な映像演出と、たくさんの思い出。やっただけのことはあると上司にも褒められた。

そのせいか、式のあとには彼女も「やっぱり、やってよかった」に変わっていました。多くの友人たちの前で結婚式を挙げることができたこと、その記録がきちんと残っていることで、満足してくれたようでした。

結婚式というと、「やらなくちゃいけない」とか「大変だ」と頭がいっぱいになって、気が重くなってしまう人もいると思います。ですが、そんなに難しく考えることはないんです。挙げたあとのことを考えれば、もっと素直に計画できたのではないかと思っています。それから、なにもかも自分たちだけで計画するのもいいですが、人を招く席なのでよくわかっているスタッフが揃っている式場の方が、スムーズで苦労がありません。気が重い人ほど、オーソドックスな式場に話を聞きにいくことからはじめるといいのではないでしょうか。

誰も来なくてもいい、2人だけでもいいからと式場を予約したのです

年の差婚というものは、世間で思われている以上に大変な面もあります。私は40歳。彼女は21歳です。音楽の趣味の会で知り合い意気投合。付き合って知らない間に結婚を意識するようになったのですが、いよいよというところで、彼女の両親をはじめ大反対にあいました。

私たちはしっかりと計画して、よく考えて進めていたつもりでしたが、年の差の問題、とくに彼女の若さがそれほど問題になるとは思ってもみませんでした。彼女の親戚たちから「両親が苦労して音大にまで進学させて、これからというところで、なんであんたが」と面と向かって言われたときは、本当にまいりました。

しかし、2人の気持ちは変わらなかったので、どれだけ反対されても結婚するつもりでいました。

「ごめんね、結婚式は挙げられないかもしれないけど」と私が言うと、「結婚式は挙げようよ」と彼女。「うちの側が誰も来なくてもいいから」とまで言うのです。そんな奇妙な結婚式を挙げる必要があるのかとも思ったのですが、「エキストラの人たちを頼んだりできるらしいよ」と彼女は真剣です。やるなら、音楽仲間だけでこぢんまりとやればいいのではと提案しましたが、「あなたのご両親に申し訳ないから」と彼女は主張しました。

「どうしても、結婚式場で普通にあたりまえの結婚式をしたいの」と彼女の意見に負けて、結婚式の準備をはじめました。結婚式場を岐阜で探しました。反対していた彼女の両親や親戚にも、連絡だけは取り、招待状も発送しました。中を見もせずに送り返されてくるのか、それとも欠席の返事ばかりが来るのか。もしかしたら直接、文句を言いにくるかもしれない……。

ところが、次々とあれだけ反対していた彼女の親戚から出席のハガキが戻ってきたのです。彼女のところには「ご両親に出るように言っておいてあげる」と電話をくれたり……。

当日、ご両親も出席されて、私の親とも笑って挨拶を交わしてくれました。私に面と向かって「おまえなんかに」と言った親戚の人も、ニコヤカに「ちゃんとした式を挙げる常識のある人でよかった。これからもよろしく」と言ってくれました。

彼女は黙っていますが、それなりに気苦労をして根回しをしてくれたのだと思います。それに加えて、ちゃんとした場所で挙式することが、反対していた人たちにきちんとしたメッセージとして伝わったのだと思っています。いい加減な気持ちではなく、彼女を本当に大事にしたい。結婚式には、そういう気持ちを伝える役割もあるんだと気づきました。

ちょっとムリをして思い切った式を挙げたら意外な人に感動されました

正直、結婚はしたいけど、予算とか休みの関係で、「結婚式」をちゃんと挙げる気持ちは、ぼくも彼女もありませんでした。ところが、偶然にも仕事の関係でお世話になっている社長の娘さんが、結婚式場でブライダル担当をしていることを知りました。

断りきれず「相談だけでも」とその結婚式場へ2人で行ったところ、やっぱり女性は結婚式に憧れがあるのですよね。彼女はかなりハイテンション。「ムリしてでも挙げようよ」と言い出しました。

予算を見ると「ここはぼくたちのような者が結婚式を挙げる場所じゃない」と思ったものの、ウキウキ気分の彼女にかわいそうで、言い出せません。

これまで彼女にはけっこう苦労をかけました。出会った頃に勤めていた会社が買収されて、まったく希望していない部署に配属され「辞めてやる」と毎日、ぼくは言っていたのです。しかし彼女もその頃、病気になって苦しい通院状態に。ぼくが辞めたら生活ができなくなってしまうこともあり、じっと我慢していました。

いまでは会社も落ち着きを取り戻し、さらに別の部署に異動したところ、それが思いがけなくお客様に恵まれて、すごく順調になってきました。この調子なら念願のマイホームも手に入るのではないかと思っていたのです。

マイホーム資金にと2人で貯めていたわずかな預金があります。彼女も働いているので、少しずつ増えています。「このお金で結婚式を挙げたい」と彼女ははっきり言いました。そんなに強く主張する彼女にびっくりしましたが、考えてみればぼくは彼女になにもしてあげていません。安物の指輪をあげただけです。彼女はそれをすごく大事にしています。でも、いつも「申し訳ないな」と思っていました。

上司に相談したところ「やったほうがいいぞ」と言われ、細かくアドバイスもしてもらいました。挙式というものは、細々とした事の積み重ねなので、式の当日までかなり大変なものと思っていましたが、その式場の担当の人が親身に対応してくれたので、びっくりするほどスムーズに当日を迎えました。

これまで、彼女の親戚はほとんど会ったこともありませんでした。しかし控え室で、はじめて会う彼女の親戚たちがぼくを囲んで喜んでくれたのです。これには驚きました。彼女の親戚たちのおかげもあって、とても和やかで楽しい式になりました。

「心配していた」とか「全国から親戚が集まる口実にもなった」とか「よくやってくれた」と声をかけてもらいました。こんなにいろいろな人に喜んでもらえて、少々ムリをして結婚式をしましたが、やってよかったと思っています。

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